「時空を超える猫」って、ほんまに“あの猫”のことやと思ってたん?
『アナザーエデン 時空を超える猫』。
友人からめっちゃシナリオおもろいねん!って言われてやり始めたんやけど。。。めっちゃおもろい!
このタイトル、最初は「旅する猫と少年の物語なんかな〜」くらいにしか思わんかった。けど、物語が進むにつれて、そんな表層的なもんちゃうと気づかされる。
それどころか――これ、全部アルドの話やんか。
そう、あの黒猫のヴァルヲちゃうねん。ほんまに「時空を超える猫」ってのは、アルドのことやったんや。
猫が、兄となり、時を超える。
そんなSFまがいの話を、あんだけの感情の重みで描いたRPGが他にあったか?ワイは震えたで。
こんだけの作品がこのボリュームで無料で遊べるなんて信じられんわ。
「アナザーエデン」=“もう一人の兄”アルド
本物の兄、エデン。
そして、ジオの力で作られた“もう一人の兄”アルド。
タイトルの「アナザーエデン」は、文字通り**“もう一人のエデン”**を意味してた。
これがわかるのって、第1部の終盤や。
それまで自分をただの村の少年やと思ってたアルドが、実は猫のキロスで、しかもそれが“兄”としての役目を背負わされてたと知ったときの衝撃。
**「作られた絆」に本物の想いは宿るんか?**って問いに、アルド自身が答えていくその展開……たまらん。
この設定、軽く聞いたらぶっ飛んでるようで、実際はめっちゃ“静かな重み”がある。
だってアルドは、フィーネの本当の兄じゃない。
せやのに、彼女を守るために、世界を救うために、あらゆる時代を渡り歩いたんやで。
プレイヤーを惑わせる“ヴァルヲ”という存在
ゲーム中ずっと付いてくるのが、あの黒猫・ヴァルヲ。
時空を超えるし、かわいいし、「あー、この子が“時空を超える猫”なんやろな」って誰もが思う。
実際、初めて時空の穴に入ったのは、ヴァルヲを追って。やからな。
でもそれは**あからさまなミスディレクション(目くらまし)**やった。
ほんまの“猫”は、最初からアルドやったんや。
つまり、「猫」が「人間」として旅をしてた、って逆転の視点をプレイヤーにぶつけてくるこの構成、完全にやられたわ。
タイトルが全部、アルド自身のことを指していた
「アナザーエデン」も「時空を超える猫」も――ぜんぶ、アルド自身のことを表してる。
本物やない“もう一人の兄”、時空を越えてフィーネを守る存在、それが彼。
たぶん、このタイトルに最初からその“正体”を仕込んでたんやろうな。
でも気づけるのは、物語を全部味わいきってからや。だからこそ、ラストで振り返ったときの重みが倍増するんよ。

キロス=アルド、“猫が兄になる”という矛盾を背負って
ジオの力で猫のキロスが人間になり、フィーネの兄として生きる――
この設定、よう考えたらめちゃくちゃや。でも、アナザーエデンはその“めちゃくちゃ”を、ちゃんと物語にしてる。
アルド自身がその事実を知ったとき、驚きはあった。でも、プレイヤーが想像するような取り乱しや、アイデンティティの崩壊は見せへん。
せやけど、それが「何も感じてへん」ってわけやない。
きっと、彼の内側ではいろんな葛藤が渦巻いてた。
猫としての記憶、フィーネとの日々、人間としての自分……
その全部を背負って、それでも前に進む覚悟を決めたアルド。
表に出さへんだけで、**“見せない強さ”**を持ってるんやろうなって、自然と感じさせる。
キロスを取り戻しても、“アルド”を捨てなかった理由
ここが最大のポイントやと思う。
アルドは、自分が猫だったって知っても、「じゃあもう兄としての立場は捨てるわ」なんて言わへん。
むしろ逆や。
“キロスであること”と“アルドであること”の両方を抱いて生きていく道を選ぶ。
これはめっちゃ尊いし、しんどい選択や。
だって、どっちかを否定した方がきっと楽やのに。
でもアルドは、フィーネと過ごした日々も、猫だった自分も、全部大事にしたかったんやろな。
キロス=アルドにとって、フィーネはただの“誰かの妹”やない。
アルドとして育ててきた“本物の家族”であり、
エデンが大事に思っていた“自分も好きな存在”でもある。
つまり――フィーネもアルドも、どっちも本物の家族やったんや。
“偽物”という言葉を超えたアルドの存在
エデンが戻ってきたとき、アルドは自分が“偽物”に見えるかもしれんって、どこかで感じてたはずや。
せやけど、彼は引かへんかった。
「兄であること」を奪われるでもなく、「猫に戻る」わけでもない。
“アルドとして生きていく”と、自分で決めた。
この一貫した態度に、ワイはめちゃくちゃ惚れた。
作られた存在で、代わりの兄やとしても、
**「本物かどうかは、誰かが決めるんやない。自分が何を守ってきたかや」**って、そう言ってるようやった。
加藤正人の影――“存在の矛盾”に意味を与える物語
加藤正人さんのシナリオがすごいのは、「変えられた過去」とか「歪んだ世界線」だけやない。
そこに生きるキャラクターたちが、自分の正体に“ズレ”を感じながらも、それを飲み込んでいく様を描けるところや。
アルドのように、「生まれも正体も本来なら存在しない存在」が、
それでも自分の足で歩き出すっていう構図、まさに“時の罪”や“選ばれなかった可能性”を生きるキャラそのものや。
クロノ・クロスのセルジュしかり、アナデンのアルドしかり、
「お前は誰の人生を歩いてるんや?」という問いに対して、
「ワイはワイや。誰かの代わりやない」って答える物語。
加藤作品の真骨頂やな、これは。
旅の始まりに刻まれた、ひとつの約束
『アナザーエデン』を起動して、最初に目にするあのテロップ。
「ころされた未来を、助けに行こう。」
この一文が、このゲームのすべてやったと気づくのは、たぶん物語を終えたずっとあと。
プレイヤーがまだアルドの正体も、フィーネの秘密も知らんときに、すでに答えは語られてるんや。
――未来は“ころされた”。
そしてそれを助けに行くのは、“誰か”やなく、“キミ”なんやと。
それがアルドであり、プレイヤーであり、世界から零れ落ちそうになったすべての存在なんよな。
クロノスメナス=エデン、“本物の兄”との最終対決
物語のラスト、時の狭間で待ち受けていたラスボス・クロノスメナス。
その正体は――長い間、時に囚われ、痛みに晒され続けた本物の兄・エデンやった。
これはもう、ただのボス戦やない。
アルドにとっては、「本物の兄」としての象徴と向き合う瞬間であり、
同時に、「ころされた未来」との決着をつける儀式でもあった。
エデンは、誰よりもフィーネを想ってた。けど、その想いが“時”によって歪められ、呑み込まれてしまった。
その果てに生まれたのが、クロノスメナスや。
つまりアルドは、エデンを倒すんやなくて――
“取り戻す”ために戦うんや。
代わりじゃない。上書きでもない。
「ふたりの兄」が、同じ“未来を守るために”戦ったそのラストこそ、物語の集大成や。
『アナザーエデン』という名前の意味、ここに回収される
ゲームタイトル、『アナザーエデン 時空を超える猫』。
その言葉に込められた意味が、すべてこの瞬間に回収される。
- 「アナザーエデン」=もう一人のエデン(アルド=キロス)
- 「時空を超える猫」=キロスとして生まれ、アルドとして旅をした存在
- 「ころされた未来」=時の歪みにより犠牲となった未来、仲間、存在すべて
- 「助けに行こう」=アルドの旅の目的であり、プレイヤーの役割
つまりこの物語は、アルドの成長物語であり、過去と未来を救う“もう一人の兄”の記録であり、
なにより「誰かにとっての未来を守る」っていう、ささやかで壮大な約束の物語やったんよ。
この物語は、きっと“キミ”のことやったんや
そして気づく。
これはアルドだけの話ちゃう。
“自分には何者でもない”と思ってた一匹の猫が、大切な人のために兄になり、世界を巡り、過去と未来を救った。
誰かの希望になるために、誰かを助けたいと願うために、旅に出る――
それは、プレイヤー自身の人生と重なる瞬間がある。
“ころされた未来”は、きっとこの現実にも転がってる。
けど、“助けに行こう”と思えた瞬間から、誰でもアナザーエデンになれるんやっていうメッセージやってん。
この物語は、終わらん。
時を超えて、思い出すたびに、新しい“未来”がまた、動き出すんや。
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