『今日のさんぽんた』第4話考察|たった100円で善意は巡るんか?

りえ子の「良い行い」は、自己満か、それとも信念か

『今日のさんぽんた』第4話、今回のテーマは“良い行い”。
りえ子が自販機で飲み物買おうとして100円落とすねんけど、そこで出てきた言葉が「ネズミに100円おごったことにしようや」。
もうこれ、クセ強い発想やけど、りえ子の善意のかたまりみたいなとこ、よう出ててニヤッとしてもうた。

でもな、ここからがこの回のミソやねん。りえ子はそこから、「良いことしたら、巡り巡って自分に返ってくるはずや」と言いながら、道端の空き缶拾いにまで手を出していく。
ほんでポン太が冷静に、「それって自己満足ちゃうん?」って心の中でツッコミ入れるわけやけど――これ、めっちゃ深ない?

人って、“ええことしてる”っていう気持ちに酔ってるとこあるやん?それが本当に善なのか、ただの「自分を気持ちよくするための行動」なんか。
このドラマ、ほのぼのしてるのに、そういう【意味】深いとこ突いてくるからあなどられへんねん。

善意に“見返り”を求めるのは悪いことなんか?

今回、特に感じたんは、「善意に見返りを期待することは悪なんか?」ってとこや。
りえ子は空き缶拾いながら、「誰かが助かるかもしれんし、自分にもええことあるかも」って自然に言ってたけど、それって普通ちゃう?って思うわけよ。

人間、完全な無私って難しいと思うんよ。
「いつか自分に返ってきたらええな」って思って行動すること自体、別に悪やない。
それを否定したら、たぶん世の中の“優しさ”って半分くらい消えてまうで。

今回の話、ただの100円から始まってんのに、こんなに人間の“善”とか“動機”に切り込んでくる構成、ほんまようできてるわ。
それをりえ子とポン太の会話でサラッと描くあたり、このドラマのセンス、光っとる。

善意は巡ったんか?りえ子の信念が報われた瞬間

りえ子がコツコツ拾った空き缶。そのあとに出てくる“ほんの少しの報われた感”、あれがめっちゃ効いてたわ。
実際、善行って派手に返ってくるもんやないけど、「あれ?ちょっとええことあったかも」って思えたら、それで十分ちゃうか?ってなるねん。

りえ子自身は「やったことは無駄になってへん」って、疑いもせずに動いとるわけやけど、視聴者側としては「ほんまに?」って疑いながら見てるやろ?
そこに最後ちょっとした出来事が起きて、「ああ…りえ子の気持ちって、ホンマやったんかもなぁ」って思わせる流れ、地味やけどええ演出やった。

この回、【伏線】ってほど大げさなもんやないけど、“善意は見えんところで巡る”ってテーマを、ラストでちゃんとそっと返してくれとったんよな。
ドラマ全体で言えばちっちゃな出来事やけど、そこに【意味】を感じた瞬間やった。

ポン太のツッコミに“変化”が見えたんよ

ポン太って、基本ツッコミ役で常に冷めてる感じやん?でも今回、りえ子の善意を見てるうちに、どこかちょっと優しくなっとる気がした。

「アホちゃうか」と思いながらも、どこかで「こいつ、ほんまに真っ直ぐやな…」って呆れながらも認めてる感じ。
そういうちょっとした【感情の揺れ】、地味に描かれててうまかったな。

りえ子の行動に対して、「意味あるんか?」とツッコみながらも、最後は何も言わんのよ。
その“言わんこと”が、ポン太なりの理解やったんちゃうかと思うわ。
実際、こういう“意味深なセリフなし”の演出って、なんかグッとくるよな。

「良い行い」って、誰のためにするもんなんやろな?

この回見ててずっと頭に残ってたんが、「良い行いって、誰のためにするもんなんやろ?」って問い。

りえ子は自分の気持ちに正直で、信じたことをただ続けてただけ。でもその行動が、周りにもちょっとずつ影響を与えてる。

それって結局、見返りはなくても、世界をちょっとだけええ方向に動かしてるってことやと思うねん。
“自分のため”でも“誰かのため”でもええ。大事なんは、その行動が嘘ちゃうことや。


『今日のさんぽんた』って、ほのぼのした雰囲気で包んでるけど、実はこういう【考察】できる深みがようさん詰まってる。
せやから今回も「神回」って言われてもおかしないくらい、ええ回やったと思うわ。

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