『いつか、ヒーロー』赤山誠司の“強さと痛み”に迫る

── 不器用すぎるヒーローの魅力とは

※この考察は本編4話までの時点での情報をもとに書かれています。

目次

桐谷健太が演じる「赤山誠司」という男

桐谷健太が演じる赤山誠司は、20年の眠りから目覚めた元・児童養護施設の職員だ。
彼の登場は、ドラマ『いつか、ヒーロー』の物語に“もう一つの主人公”を生んだ瞬間でもある。

第1話、目覚めたばかりの赤山が最初に口にしたのは「……あいつらは、元気でやってるのか」という一言。
その声には、自分の置かれた状況よりも、ただ教え子たちのことが気がかりだという思いが滲んでいた。

桐谷の演技は、言葉少なでも雄弁だ。
“20年という喪失”を背負った男の虚無と渇きが、目線と息遣いに込められている。
特に、かつての仲間や教え子たちの名前がふと漏れる瞬間、その表情が一気に揺れる。
感情を抑えながらも、“何かを取り戻しに来た人間”の温度がちゃんと伝わってくる。


20年間止まっていた時間と、教え子たちへの思い

赤山誠司の物語は、“取り戻し”だ。
20年前、彼は児童養護施設「希望の道」で子どもたちに寄り添いながら、カンボジアで学校を建てるという夢を追い施設を離れた。
だがその直後、謎の人物に襲われ、昏睡状態に陥る。

教え子たちは赤山の不在のまま大人になった。
──迷い、苦しみ、時に社会にすり潰されながら、それでもそれぞれの人生を歩んできた。

目覚めた赤山がまず動いたのは、“彼らに会いに行くこと”。
それは単なる再会じゃない。
自分がいなかった時間に生まれてしまった歪みや孤独に対して、何かできることはないかと探してるようにも見える。

第2話では、生活に困窮し投げやりになっていた野々村光(ノノ)に手を差し伸べ、
第3話では、ブラック企業で過労死寸前の交野瑠生(ルイ)を深夜の路上で介抱し病院へ運ぶ。
そして第4話では、かつての教え子・君原いぶきの娘が誘拐されたと聞き、何も言わず現場へ駆けつけ、危険を顧みず沙織を救出する。

赤山誠司は、誰かに感謝されたくて動いてるわけやない。
彼が追いかけてるのは、20年前に自分が置き去りにしてしまった「責任」や。


“言葉より行動”が心を揺さぶる

赤山のセリフは少ない。
でも、そのひとつひとつが、行動とセットで胸に刺さる。

たとえば──
「お前らのために、何もできなかった」なんて言葉は使わない。
代わりに、彼は誰より早く動き、誰より深く見つめている。

倒れていた瑠生に毛布をかけた後、静かに「…よう頑張ったな」とだけ言ったあの声。
誘拐された沙織を抱きしめたあと、何も言えず涙をこぼした横顔。

彼の行動には、謝罪も言い訳もない。
ただ、「今はおるぞ」というメッセージだけがある。
その静かな存在感に、視聴者の方が先に泣かされる。


ヒーローなんて言葉は使わない。でも、誰よりも“ヒーロー”

子どもたちに語っていた“ブラックジャガー”というヒーロー。
正義感にあふれるスーパーヒーローではない。
もっと、ダサくて、弱くて、それでも人を守ろうとする存在。

もしかすると赤山誠司は、自分がそうなれるとは思っていない。
でも、目覚めた今、彼はもう一度“誰かのために動ける人間”になろうとしている。

それはたぶん、ヒーローになりたいからじゃない。
かつて自分が救えなかった子どもたちを、もう一度信じたいからや。
そして何より──
「自分もまだ、誰かの希望になれるかもしれない」
そう思ってるからかもしれない。

不器用だからこそ“本物”に見える

赤山誠司の魅力は、完璧さじゃない。
むしろ真逆。
不器用で、口下手で、時代からも置いていかれて、ただ目の前の人のことしか考えられない。
でも、その一途さが、どこまでも本物に見える。

ルイが「自分には誰も期待してない」と言ったとき、赤山は何も言い返せなかった。
その代わり、次の朝には彼の部屋にご飯と味噌汁を持って現れる。
沙織を抱きしめたあと、何も言えず目を伏せる。
言葉より先に、体が動いてしまう男。その姿に、観ているこっちのほうが泣かされる。

たぶん彼自身、“誰かを救ってる”なんて意識はない。
ただ、自分がいなかった時間に起きたことに、やっと追いつこうとしてるだけ。
その行為が、人の心を動かす。


それでも胸を打たれる理由──視聴者の“感情の代弁者”

赤山誠司を見て泣いてしまう理由は、たぶん私たち自身が「誰かを助けたい」と思っても、動けなかった経験があるからや。
あるいは、「どう声をかけていいかわからなかった」ときの自分に、彼を重ねてる。

「何も言わずに、そばにいてくれたら救われたのに」
そんな理想を、彼は当たり前のようにやってのける。

SNSでも「赤山さんの無言が一番泣ける」「この人だけが真っ直ぐすぎてつらい」と共感の声が多い。
それは彼が、“感情の代弁者”ではなく、“感情の受け止め役”だからや。
誰よりも傷ついてるのに、誰よりも優しくいようとする。
その矛盾した姿に、我々は勝手に感情移入してしまうんや。


ブラックジャガーに込めた“願い”

赤山が子どもたちに語っていたヒーロー・ブラックジャガー。
たぶんあれは、ただの空想のヒーローじゃない。
彼自身がなりたかった、もうひとつの自分やったんやと思う。

「誰かの痛みに気づける存在でありたい」
「本当に苦しいとき、静かに現れて助ける存在になりたい」

そんな願いを、物語として子どもたちに語ることで、自分自身にも言い聞かせていた。
だから今、20年の時を経て、赤山は“ヒーローになりきれなかった自分”をもう一度、現実の中で演じてるのかもしれない。

ブラックジャガーとは、彼が大人として背負いたかった理想そのものや。
それをもう一度追いかける彼の姿は、滑稽でもあるし、尊くもある。


赤山誠司の役割は“救われる側”かもしれない

ここまで「教え子を救っていく話」と思わせておいて、実は物語の終盤、赤山誠司自身が“救われる側”になる可能性がある。

いぶきや紫音が、「この人に救われた」という実感を抱くように、今度は彼らが赤山に何かを返すターンが来る。
ずっと誰かのために動いてきた赤山が、「ありがとう」と言われる瞬間が訪れたら──
その一言が、彼の20年をやっと報われたものにしてくれる。

それを視聴者もずっと願ってる。
だからこそ、赤山の結末は“生きて”こそ価値がある。
彼が死んで何かを守る…そんな終わり方はしてほしくない。

オレがシナリオに望むのは、救われる赤山や。


結末予想──ヒーローの背中が遺すもの

赤山誠司という男が、この物語の中で果たす役割は、「かっこいい大人」であることじゃない。
「間違えても、やり直せる大人」でいることや。

ヒーローなんて言葉は似合わない。
でも彼の一歩一歩が、誰かの人生に確かに希望を残していく。
たとえ自分では「失敗ばかりだった」と思っていても、その背中を見て何かを感じる子どもたちがいる限り──
彼は間違いなく、ヒーローなんやと思う。

※この考察は第5話時点での情報をもとに書かれています。

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おしまる✕
オタク脳で世界を見てる中の人。
考察、推しかつ、テレビの茶々入れが日課。
ゆるく楽しんでもらえたらそれで十分。
気が向いたら、他の記事も読んでってな。
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