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『惡の華』はなぜこんなに「気持ち悪い」のか。

目次

実写版とアニメ版で全然違う“狂気”の質を比較考察

『惡の華』って、マジで何度見ても「気持ち悪い」って感想にたどり着く。
しかもこの“気持ち悪さ”が、アニメと実写でまったく質が違うのが面白い。

今回はその違いを「気持ち悪さ」の視点からぶった切り、
この作品の狂気とおもしろさをガチ考察していく。


ロトスコープが生む、悪夢みたいな“異物感”

アニメ版は、実写映像をなぞってアニメにする「ロトスコープ」って手法が使われてる。
これがまあ、クセ強すぎて正直ゾワゾワする。

線はざっくりしてるのに、動きや目線はやたらリアル。
その“ズレ”がまるで夢の中の悪夢みたいやねん。

しかも誰も止められへん。
でも、かといって彼らが“正しい”とも思えへん。

この「操作ミス感」――言い換えると“現実からちょっとズレた存在”みたいな不安感は、
ロトスコープやからこそ生まれる異物感やと思う。


実写版の「生っぽい狂気」と地続きの不快さ

一方、実写版はまた違った方向でキツい。
主演の伊藤健太郎が演じる、見るからに不安定な優等生風の少年。

その隣にいるのが、玉城ティナの演じる“女王様メンヘラ”。
この組み合わせがもう、チューニングずれた感情の爆発でしかない。

「ああ、こういう奴、隣のクラスにいたかもな」って思ってしまう。
妙にリアルすぎて、逆に怖い。

演出も妙に“押し”が強くて、
カメラの距離がやたら近いときとか、息苦しいくらい。


同じ『惡の華』でここまで違う「気持ち悪さ」

視点アニメ版実写版
気持ち悪さ身体的な異物感、悪夢感既視感のある、生の狂気
表現技法ロトスコープ生々しい演技+押しの強いカメラ
主人公像“部外者”の悪夢的な身体感覚すぐそこにいるようなウェットな青年

同じ原作をもとにしてるのに、
こんなに狂気の質が違うってめっちゃおもろない?

アニメは感性で刺してくるタイプ。
実写は現実との距離感でじわじわ不安を与えてくる。


でも、ストーリー自体は「おえっ」てなる

ここまで演出にベタ褒めしてきたけど、ストーリー自体はまあまあキツい。
というか、ぶっちゃけ「おえっ」て感じる人が大半やと思う。

自己認識の歪み、悪意のスパイラル、
それを“恋愛”として継承していくような話。

しかも、その相手は本気であればあるほど、容赦ない。

人間のドロドロした部分を、わざわざえぐってくる構造なんよな。
めちゃくちゃ感性の怪獣。理屈や整合性で語られへん。


“気持ち悪さ”を楽しめるかが、この作品のすべて

『惡の華』の本質って、「メッセージ性」よりも「気持ち悪さの純度」やと思う。

そしてその“気持ち悪さ”を、
アニメと実写でまったく別の方法で表現してるのが最高にニクい。

キャラの痛み、歪んだ感情、壊れかけの愛情。
それを「うわ…」って顔しながらも、ちゃんと目で追ってしまう人。

――そういう人こそ、この作品の奥にある何かに届くんやと思う。

いや、届かへんかもしれん。
でも、残るねん。あのざらついた感触だけは。


終わりに

決して万人にはすすめられへん。
でも、「思春期の闇をここまで真正面から描いた作品」はそうそうない。

気持ち悪くて、後味悪くて、でもなぜか記憶にこびりつく。

その違和感を抱えたまま、“この作品に触れた”という事実だけが、
ずっと心に残るんよな。

気持ち悪いものを恐れない人間だけが、『惡の華』の奥へ進める。
――そういう作品やと思う。

おしまる✕
オタク脳で世界を見てる中の人。
考察、推しかつ、テレビの茶々入れが日課。
ゆるく楽しんでもらえたらそれで十分。
気が向いたら、他の記事も読んでってな。
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