これは“恐竜映画”やない。イナゴと陰謀のラストサバイバルや
『ジュラシックワールド/新たなる支配者』って聞いたら、
そりゃ当然、“恐竜が暴れまわるSFパニック”を期待するやろ?
でも実際にフタを開けてみたら──
出てきたのは……イナゴや。
しかも、巨大でヌルっとしてて、めっちゃ気持ち悪いやつ。
もちろん恐竜も出てくる。
ブルーもおるし、ティラノも吠える。カルノタウルスだって存在感ある。
けど、その恐竜たちの合間を縫うように、
“遺伝子操作で生まれたイナゴの大群”が登場するんや。
農場を襲って作物を食い尽くすその描写は、まさにホラー演出。
SNSでは「なんでイナゴ?」「恐竜ちゃうんかい!」と、ツッコミと困惑の嵐。
けどな、これはただのサプライズちゃうねん。
むしろこの“違和感”こそが、最終章に込められたメッセージや。
恐竜は「自然の力」そのもの。
そしてイナゴは、「人間が手を出してしまった自然」の象徴。
この作品は、単なる恐竜バトルのエンタメやなく、
“人類と自然の関係性”に、もう一度問いを投げかけてくる映画やったんや。
つまり──これは「恐竜映画」を期待して観た人ほど、
**裏をかかれる“ラスト警鐘エンタメ”**なんやで。
あらすじと相関図で理解する、複雑すぎる人物&恐竜関係
物語の舞台は、前作『炎の王国』から4年後。
恐竜たちはすでに世界中に拡散し、人間社会の中に“共存という名の混沌”が広がってる。
街に恐竜が現れ、密猟や違法取引も日常茶飯事。
世界は“ジュラシック化”してしまったんや。
そんな中、物語の中心は大きく3つの軸で進んでいく。
まずひとつ目は、
オーウェン&クレア+メイジー+ブルーとその子ども=擬似家族ユニット。
オーウェンたちは、恐竜を守る立場から一転して、
人里離れた森で、遺伝子操作で生まれた少女メイジーをかくまいながら暮らしてる。
そして驚くべきことに、あのブルーが単為生殖で子ども(ベータ)を産んでる。
しかもこの子も、物語のカギを握る重要キャラになる。
ふたつ目は、シリーズ初期の伝説トリオの再集結。
アラン・グラント博士、エリー・サトラー博士、イアン・マルコム博士や。
彼らは巨大企業バイオシン社の異常な遺伝子実験に違和感を抱き、
独自に調査を進めていく。懐かしい顔ぶれが最終章で合流するという、
**ファン歓喜の“世代クロスオーバー”**が展開されるんや。
そして三つ目が黒幕ポジション──
遺伝子操作で巨大イナゴ(バイオローカスト)を生み出したバイオシン社。
彼らの狙いは、生態系を裏から操ること。
なんとベータとメイジーの誘拐にも、この企業が絡んでる。
この3つのラインが地球規模で交錯し、
恐竜と人間と遺伝子が入り乱れる世界が描かれていく。
キャラも多けりゃ、恐竜も多い。情報も多すぎる。
でもそれこそが、シリーズ最終章の“集大成”感や。

ブルー、カルノタウルス、ギガノト──恐竜たちは“見せ場”か“添え物”か?
まず最初に言うとく。
恐竜、ちゃんと出てくる。しかも派手に。
でもや。
今回の『新たなる支配者』では、
恐竜たちの扱いがなんか……ちょっと違うねん。
まずはファンの推し恐竜、ブルー。
前作から引き続き登場してるけど、今回は子どものベータとの関係がメイン。
もうね、オーウェンとの絆も去ることながら、
「母としてのブルー」がめっちゃ切なく描かれてる。
言葉を発さへん恐竜やのに、
「返してくれ」って目で訴えてくるシーン、
あれは完全に感情を持っとる生き物の演技やった。
そして登場時間こそ短いけど、カルノタウルスも健在。
やっぱあの角のシルエットはインパクト抜群。
今回は闇市のシーンや収容施設でのチラ見せやけど、
全身の質感や動きはかなりリアルやった。
“脇役感”は否めへんけど、それでも画面映えはトップクラスや。
そして今回、最大のインパクトを残したのが──
ギガノトサウルス。
シリーズ最強の肉食恐竜とされる存在で、
T-レックスとのラストバトルはまさに“怪獣映画”のようなスケール。
一部では「ギガノトの性格、雑すぎへん?」って声もあるけど、
“支配の象徴”としての立ち位置はわかりやすかったな。
ただここでひとつ言いたいのは、
恐竜たちの存在感があくまで“添え物”として描かれてるシーンも多いってこと。
今回の主軸は、あくまで“イナゴ”と“人間の科学の暴走”。
恐竜はもう、人間社会に“溶け込んでしまった風景”になりつつある。
つまり、恐竜たちは画面を盛り上げる「主役」やなく、
**人間ドラマの背景として置かれた“現実そのもの”**なんや。
それが良いか悪いかは別として、
“恐竜が主役の映画”を期待してた層には、ちょっと物足りんかもしれん。
なぜイナゴ?なぜここまで気持ち悪い?──バイオローカスト演出の狙い

恐竜映画やと思って観に行ったら、
やたら存在感を放ってくる“あいつら”にザワついた人も多いやろ。
そう、遺伝子操作で生まれた巨大イナゴ=バイオローカストや。
最初に出てきたとき、オレも「は?」ってなった。
なにこのブヨブヨしたやつら。なんで農場襲ってんねん。
しかも数が多すぎて、まるで『ザ・フライ』か『虫けらどもが!』系ホラーの領域。
とにかく見た目が気持ち悪い。
音もヌチョヌチョ系で、あれは生理的に無理な人もおるやろな。
でも、ただの悪趣味ちゃうねん。
これにはちゃんとした“狙い”がある。
このバイオローカストは、バイオシン社が仕込んだ“自然を操る兵器”。
自社以外の農作物だけを狙って食い荒らし、
食糧危機を人工的に作って市場を独占しようとしとる。
つまりこれ、現代社会でいうところの──
環境破壊×企業支配×生物兵器のハイブリッドなテーマなんや。
恐竜=自然の再生。
イナゴ=人間の傲慢。
この対比は、もはや“パーク”でも“ワールド”でもなくて、
**“人類vs自然の運命戦”**なんよな。
しかもこのイナゴ、ただ気持ち悪いだけやなくて、
ちゃんと科学的根拠に基づいた生態系モデルが仕込まれてるらしい。
そこにリアリティがあるからこそ、
逆に“生理的嫌悪”をかき立てられるんやろな。
つまり──
「なんでイナゴなん?」っていう疑問は、
この映画が“なぜ恐竜映画を裏切ったか”を考えるヒントになる。
見た目の不快感は、
**物語の警鐘として仕組まれた“不快なリアル”**やったんや。
“賛否両論”を超えて:評価が割れる理由とSNSのリアルな声
『ジュラシックワールド/新たなる支配者』を観た人の感想。
それはもう、真っ二つや。
「神作やった!」って言う人もいれば、
「マジでひどい」「期待はずれすぎる」って人もゴロゴロおる。
FilmarksやIMDbでは平均3.5〜3.9くらいやけど、
その中身を見ていくと、温度差がすごいんよな。
まず、ポジティブ評価派の声はこんな感じ。
・旧キャラが再登場してくれただけで泣いた
・ブルーとベータの関係にグッときた
・イナゴがヤバすぎて逆に面白かった
・恐竜の動きや映像がシリーズで一番リアル
一方で、ネガティブ評価派の声はというと──
・イナゴが主役すぎて意味わからん
・恐竜映画ちゃうやん
・テンポが悪い、話が散らかりすぎ
・メッセージ性が強すぎて疲れる
どっちの意見も分かる。ほんまに。
というのもこの映画、“期待してたジャンル”と“実際の中身”がズレてるんよ。
観客が求めてたのは、たぶん
「恐竜バトル&逃げる人間たち」の王道パニック。
でも実際は、
「環境破壊・遺伝子・家族・陰謀・イナゴ・地球の未来」みたいな、
倫理と科学と人類の業が詰まった超ヘビーな構成やった。
つまり、これは
「シリーズ完結編」ではあっても、「大団円」ではないってことや。
問題提起のラスト、余韻を残す終わり方。
それを“物足りない”と感じるか、“考えさせられる”と感じるかで評価はガラッと変わる。
賛否が分かれるのは当然。
むしろそこまで真剣に議論されてるってことは、
この作品がちゃんと“問いを残す映画”やったって証やと思う。
制作秘話&監督コリン・トレヴォロウが語る“最終章の真意”
本作を手がけたのは、シリーズ1作目(2015)でもメガホンを取ったコリン・トレヴォロウ監督。
いったん『炎の王国』では監督を降りたけど、
“完結編”である今作でカムバックしたんや。
彼が語るこの作品のコンセプト、それは明確に「恐竜映画の終わり方を再定義する」こと。
「もう“人が恐竜に追いかけられて叫ぶ”だけじゃ続かない」
「今の時代に“生き物を創ることの意味”を問いたかった」
──そんな言葉が、彼のインタビューでは何度も出てくる。
つまり、あのイナゴの気持ち悪さにも、あえて意味を持たせてたってことやな。
実際、あのバイオローカストの設定は、
**“パンデミックの比喩”や“企業による自然支配”**という現代の問題にリンクしてる。
「コロナ禍を経て、映画も変わらなあかん」
そんな風に監督は語ってたそうや。
また、ブルーの“母としての描写”についても、
「恐竜にも感情があるという描写を、どうリアルに成立させるか」が課題やったとか。
そこで採用されたのが、アニマトロニクスとCGのハイブリッド手法。
ブルーとベータの表情、ほんまに生きとるように感じたのはそのおかげや。
さらに、旧作キャラの再登場についても、
「単なるファンサやなくて、“世代交代”の儀式として描いた」と監督は明言してる。
グラント博士やエリーが“過去”を象徴し、
オーウェンたちが“未来”を受け継ぐ。
その中間にメイジーがいて、“次の世代”がどう歩くかを描いた作品やったと。
つまりこの映画、
ビジュアルは“恐竜”、テーマは“人間”、仕掛けは“未来”やったんや。
派手なだけやなく、ちゃんと“問い”のあるエンタメにしようとした。
それがコリン・トレヴォロウの最終章に込めた答えやったんやろな。
まとめ:シリーズの“最後”にふさわしかったのか?

『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』──
この映画を観終わったあと、胸に残るのは「スッキリ」やなくて、むしろモヤモヤや。
確かに恐竜は出てきた。
ギガノトサウルスも暴れたし、ブルーとベータの再会にはちょっとウルっともきた。
けど、「これがラストか」と言われると、
どこか釈然とせぇへん人もおると思う。
でも、考えてみてほしい。
そもそも“人間が恐竜を蘇らせた”ことがシリーズの原点やったわけやろ?
それって、科学の傲慢であり、自然への挑戦でもある。
この作品が描いたのは、
そんな“支配”の先にある、不完全で不安定な共存や。
誰も完全に勝ってへんし、
世界は平和にもなってへん。
それでも、人類と恐竜と自然が“なんとかバランスを探りながら生きていく”という終わり方。
それって、リアルやし、ある意味で“現代的な希望”なんかもしれん。
「恐竜映画としては微妙」
「イナゴ出す意味が分からん」
そんな声があるのも事実や。
でもこの作品、
シリーズの“物語”というより“問い”を締めくくった作品なんやと思う。
つまり、これは“終わり”やなくて、
「人間はまだ進化の途中やで」っていうラストメッセージやったんかもしれん。
オレたちは、ブルーのように、
「自然に帰る選択」をいつか迫られる日がくるんかもしれんで。
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