Q. 『パラノマサイト』の志岐間春恵は、本当に“許される”存在だったのか?
→ 息子を失った悲しみ、その想いには誰もが共感する。けれど、他者を犠牲にしてまで願いを貫こうとした彼女の行動は、決して無視できない矛盾を抱えていた。この記事では春恵という存在が持つ“母性と呪詛”の境界線に、感情と思考の両面から迫ってみるで。
ウチは春恵を見て、すぐには嫌いになられへんかった。
あまりにも必死で、あまりにも悲しくて、
「こんな母親になってまうのも無理ない」って、思ってもうたんよ。
けど、最後まで物語を見届けて──
ウチの中に残った感情は、“理解”でも“共感”でもなく、“許されへん”という引っかかりやった。
春恵はただの悪人やない。
でも正義の人とも言いきれへん。
愛情からくる呪い、それがどんなに人間らしくても、
「やってええことと、あかんこと」は、やっぱりある。
この記事では、ウチ自身の気持ちと向き合いながら、
春恵というキャラクターが、なぜここまで賛否を呼ぶのかを考察していくで。
母性・喪失・暴走・正義と罪の境界線。
『パラノマサイト』という物語が突きつけてくる、
あまりにもリアルすぎる“選択”と“贖罪”の物語──
一緒に見直していこな。
あの瞬間、涙よりも先に違和感がきた
春恵の物語は、見た目にはめっちゃわかりやすい“母親の悲劇”やった。
息子を誘拐され、失い、それでも「もう一度会いたい」と願う。
そんなん、心が痛まへん人なんかおらんやろって思うやん?
けどな、ウチは初めてあのルートを見たとき、
涙が出る前に、なんか冷たいものが背中を通った気がしたんよ。
たしかに春恵は悲しい。
でも、その悲しみにプレイヤーが“共感する前提”で話が進んでいくのが、
どこか強引に感じたんよな。
泣かせる演出、わかる。
でも、それと同時に、「この人、何かを隠してる」って違和感があった。
あの冷静すぎる語り口。
まるで自分を“被害者”として保ちながら、
周囲を巻き込んでいくような…そんな雰囲気。
そして何より、
呪詛珠を手にしたときの彼女の目が、もう“母親”やなかったんよ。
ウチがほんまに怖かったのは、
「誰かの命と引き換えに願いを叶える」ってことより、
それを“当然の代償”として受け入れてた春恵の心の奥や。
それって愛なん?
それとも、愛を名乗った暴走なん?
この違和感が、ウチの中でずっと消えへんまま、
最後まで春恵を見ることになるんよな──。
春恵の願いは正義?それとも自己満足?
「息子を取り戻したい」──その願いは、一見して“純粋な母の愛”に見える。
ウチも最初はそう思ってたし、共感しかけた。
でも、物語が進むにつれて、どんどん引っかかってきたんよ。
春恵が呪詛珠を手に入れたあと、
彼女は他の呪主たちを“利用する”方向に動く。
自らが手を汚すというより、飛太に手を貸させ、
滓魂(たましい)を集めていくあの流れ。
あれってほんまに、
「子どものため」だけやったんやろか?
息子の死という事実を抱えて、
自分を保つために「何か意味のあることをしなきゃ」っていう、
自分の存在を正当化するための執念にも見えたんよ。
それってつまり、
春恵の願いって、息子のためやなくて、
“自分が母親として救われたい”という自己救済やったんちゃうんかって。
もちろん、それを否定するつもりはない。
人は誰だって、自分の痛みに意味を持たせたくなる。
けど問題は、そのために他人の命を使うことを躊躇わなかったことや。
「親の愛は正義やろ?」って顔で迫ってくる感じが、
ウチにはすごく怖くて、気持ち悪かった。
春恵の願いは、たしかに“人間らしい”。
でもそれは、正義やなくて、ものすごく強い“自己満足”にも見える。
トゥルーエンドで彼女が「やっぱりやめる」と言ったとき、
どこか安心した自分がおった。
でも同時に、「じゃあ今までの命は何やってん」って思ったのも事実や。
そこに罪悪感があったんか、
それとも自分の心が折れただけなんか。
彼女の“本心”が見えへんままやからこそ、
ウチは今でも、完全には許されへん気持ちでおる。
「母性=正義」は免罪符にならへん

春恵の願いが語られるとき、
どこかで必ず出てくる言葉がある。
「母親として当然の行動」やった、ってやつ。
たしかに、子を想う気持ちは本物やと思う。
でもそれが、“誰かを殺してもいい理由”になってええんか?
ウチはそこでどうしてもブレーキがかかってまう。
他のキャラ──たとえば約子やミヲ──は、
どれだけ願いがあっても、呪いを使うことに最後まで葛藤しとった。
ミヲなんか、霊感で苦しんできた過去を持ちながらも、
他人を踏みにじってまで自分の救いを選ぶことを拒否してたやん?
せやのに春恵は、「母親やから仕方ない」みたいな顔で、
ほかのキャラと比べてもずっと“正当化されてる”ように感じたんよ。
それがウチには、めっちゃ怖かった。
母性って、すごく尊いもんやと思う。
でもそれを使って自分の行動を美化するのは、
ただの「免罪符」やと思うねん。
「親だから」って言葉は、時にいろんなものをすり替えてしまう。
苦しみも、犠牲も、誰かの痛みも。
『パラノマサイト』って、呪いの物語やけど、
一番強い呪いは“母性という言葉が持つ聖域性”やったんかもしれへん。
春恵が呪詛を行使するシーンを見て、
「これはしょうがないよね…」って流してしまった人も多いかもしれん。
でもウチは、そこで「本当にそうか?」って問い返したかったんよ。
母性=正義、っていう公式は、
たぶんこのゲームの中では、壊されるべき前提やったんやと思う。
許せない。でも、嫌いにはなれない。それが一番しんどい
「もう、こいつムリやわ」ってキャラやったら、話は楽なんよ。
感情切り離して、「あー悪役やったな」で終われる。
でも春恵は、そうはいかへん。
願いの根っこにはたしかに愛があった。
行動には明らかな罪があった。
そしてその全部が“人間らしさ”としてリアルに描かれてた。
それが、ウチにはめちゃくちゃしんどかった。
正直に言うと、ウチは春恵の行動、許されへんと思ってる。
でも、彼女の気持ちが全く理解できへんとも思ってへん。
息子を失って、それでも生きていかなあかんっていう絶望の中で、
「何か意味がほしい」って思う気持ちは、痛いほどわかるんよ。
だからこそ──
「許せない」と「わかる」が同居してしまう。
この矛盾が、感情を引き裂いてくる。
ミヲや約子と違って、春恵には「最後まで正義ではいられなかった姿」がある。
それって、完璧じゃない人間のリアルやと思う。
だから嫌いになりきれへん。
でもだからって「よく頑張ったね」とも言われへん。
ウチの中で、彼女はずっとその“間”に立ってる存在なんよ。
これはもう、“好き嫌い”とか“善悪”とかやない。
心が判断を保留したまま、ずっと答えを探してる状態やねん。
たぶんそれが、
このゲームが描いた“人間の矛盾”そのものなんやろなって思う。
感情の答え合わせ|あなたは春恵をどう思った?
ここまで春恵のことをウチなりに考えてきたけど、
最後に伝えたいのは──正解なんてないってこと。
ウチは春恵を「許せない」と思ってる。
でもそれは、ウチの感情や経験を通した“ひとつの視点”にすぎへん。
SNSとかコメント欄でも見かけるけど、
春恵を「すごく共感できた」「最後に泣いた」って人もいれば、
「どうしても無理」「一番怖いキャラやった」って人もおる。
この“感情の振れ幅”こそが、彼女のキャラクターとしての強さやと思う。
そして『パラノマサイト』って作品が、
ただのノベルゲームやなくて、“人の価値観を試す物語”なんやってことやねん。
だからこそ、
このゲームをクリアしたあとにモヤモヤが残った人ほど、
「この気持ち、誰かと答え合わせしたい」って思うんやと思う。
もし、今この文章を読んでるキミが、
ウチと同じように「許せない」と思ってるなら──それはきっと正直な気持ちや。
逆に、「ウチは春恵を理解したい」って思ったんなら、
それもまた、ちゃんと彼女に向き合った証拠やと思う。
ウチがこの記事でやりたかったのは、
正義を振りかざすことやなくて、
**「感情を整理する場所を作ること」**やねん。
ここまで読んでくれたあなたに、
最後にこう聞きたい。
あなたは春恵を、どう思った?
その答えはきっと、あの呪詛珠のように、
心のどこかでまだ光ってるはずやで。
ウチは春恵を、最後まで許されへんかった。
けど、それでも彼女を「ただの悪者」とは言い切れへんかった。
あなたは、どう感じた?
自分の中に残った答え、よかったらウチに教えてな。
コメントでも、Xでも、心の中で呟くだけでもええ。
その気持ちこそが、あの物語と、あなたが向き合った証やと思うから。
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